蜷川幸雄さん。とうとう旅立ってしまわれたのですね。
清家さんとシナリオクラブを始めるとき、快く、蜷川さんのお名前を使うお許しをいただいてから、たびたび清家さんを通じて、シナリオクラブを気にかけてくださっていた、優しくて、とても大きな存在だった蜷川さん。
直接お話をしたことはない、そんなわたくしでもこんなに悲しく淋しいのですから、ずっとご一緒にお仕事をされてきた方々たちの悲しみはいかばかりかと、想像するだけで胸が苦しくなります。
シナリオクラブの会員さんたちも、蜷川さんとのお別れを淋しがっていらっしゃいます。
昨日の第一報をニュースで知って、すぐお電話くださった方、どこかに飾ってと、お花を持ってきてくださった方。みんなみんな、蜷川さんの舞台もですけれど、蜷川さんご本人のことが本当に大好きだったんです。
蜷川さんのさいたまゴールドシアターや、ネクストシアターに入りたかった、とおっしゃる方も、ここにはたくさんいらっしゃるんですよ。
蜷川さんの舞台はいつも、エネルギッシュで、パワフルで、幕開けから最後まで一瞬たりとも目が離せず、舞台の端から端まで、空間のどこを切り取っても絵になってて、ぎっしりつまって、濃密で濃厚で、いつもいつも、本当に幸せな時間をいただいていました。
舞台を通じて、蜷川さんの優しさ、大きさ、大胆さ、繊細さ、天才のひらめき、闘う姿勢・・・たくさんたくさん感じることができました。
蜷川さんの遺していかれた魂は、今まで育ててこられた方々によって、ずっと永遠に引き継がれていくことと思います。
ここシナリオクラブにも、蜷川さんの遺してくださったもの、たくさんたくさんあります。
そういう一つ一つを、これから大切にしていきたいと思います。
人生ずっとトップランナーとして走り続けた蜷川さん。今は少し、休めていらっしゃるのでしょうか。天国から見守らないといけない教え子さんや、愛弟子さんたちもたくさんいらっしゃると思いますが、どうかこれからも、シナリオクラブのことも、天国から見守っていてくださいね。
蜷川さんの、最後まで気にかけていらした「尺には尺を」、蜷川さんを父のように慕っている清家さんも出演してますから、心して観てこようと思います。蜷川さんのお名前を冠した作品がもう見られなくなってしまうと思うと、喜劇とのことですが、涙が止まらなくなってしまうかもしれません。さいたま芸術劇場に行ったら、いつも蜷川さんのいらしたお席のところで、手を合わせてきたいと思います。
いっぱいいっぱい、たくさんの幸せな時間や思い出を、本当にありがとうございました。感謝しかないです。本当に、本当にありがとうございました。