アクタージュが終わった。
今週のアクタージュの、実質最終回を見ながら、
「ああ、みんなの物語はここで終わるのか」
と思った。
正直、作画の宇佐崎先生や集英社の編集の方だけでなく、舞台を待ち望んでいた人、そこに参加する人、誰一人望まない終わり方には間違いない。
それでも、起きた出来事を擁護する気は一ミリもなく、適切な判断が下されたと思っている。
最終回の後の世界
物語はどういう形であれ、最後には終わりを迎える。
最終目標を達成したり、ラスボスを倒して終わることもあれば、途中で打ち切りとして終わることもある。
例えば、
世界に平和をもたらした後
全国制覇が終わった後
あらゆる謎を解き明かした後
恋人と結ばれた後
学校を卒業した後
俺たちの冒険はこれからだの後
その後が描かれるケースは多くない。
幸せに暮らしているのかもしれない。
案外、思ったよりも大変な余生を送っているのかもしれない。
バッドエンドならその後も過酷な世界で戦い続けているのかもしれない。
その後の物語は作者の頭の中にあるだけだろう。
物語の終わりとキャラクターの消滅
物語が終わったとき、キャラクター達はどうなるのだろうか。
少なくとも最終回=キャラの消滅ではないと思う。世界崩壊バッドエンドでもない限り。
キャラクターたちの行く末は、最終回を迎えた後はファンや読者に委ねられる。
そう考えた時、キャラクターの本当の消滅は、誰からも忘れられてしまうことなんじゃないかと。
少なくとも、アクタージュのキャラクター達はそういう意味では消えていない。
ここから先は、彼らの未来をどう想像するかは自由だ。
色々考えたけど、そう思うことにした。
きっと、あっちの世界では物語が続いてて、
今の続きの大河ドラマ編が成功してるかもしれない
王賀美さん共々、景が歴史に名を遺すの名女優になってるしれない。
阿良也が意外と普通の家庭生活を手に入れてるかもしれない
星くんがバイプレイヤーとして活躍してるかもしれない。
十数年と経って、千世子が往年の大女優になってるかもしれない。
もしかしたら全員が異世界転生して演劇で世界を救っているのかもしれない
作者じゃなくても、続きを想像して、その先の無限の可能性を考える自由くらいはあるのかなと思う。
忘れない限り、キャラクターは消えない。
アクタージュという夢の終わりに
アクタージュには数えきれないほどお世話になったし、未練もめちゃくちゃある。
連載が終わったことをいまだに受け入れられない人もいると思うし、僕だってそう。
でも、さっきも言ったように彼らの物語は見えないところで続いていくんだと思う。
全く想定していなかった終わり方だったが、僕の好きな漫画、小説でも、意図せず未完で終わってしまったものがいくつかある。
そんな時、僕はいつも「物語の続き」を考える。
その後の世界をキャラクター達はどのように動いていくのだろう、頭の中で物語が進み、自分なりの最終回まで進んでいく。
この考えは、演劇の役作りにも似ていて、自分の演じる役が、台本の中のセリフを手掛かりに
どんな人物なのか、どんな人生を送ってきたのか、何が好きなのか、何を考えているのかetc
と自分なりに解釈していったり、時には由来の地を巡ったりして登場人物を作っていく。
アクタージュは芝居の漫画だ。
最終回を想像するのに、役作りと同じようなことをやっているなんてなんだか滑稽だ。
でもそうやって、想像の中で自分なりの最終回を思い描いて、作品を大団円するくらいはやってもいいはずだ。
いつか安心できる世界が来るまで
アクタージュの世界が終わってしまったように、皮肉にも、現実世界での芝居も窮地に立たされている。
コロナウィルスの影響で、演劇は不要不急とみなされ、瀕死どころか生きているのが奇跡くらいまで追い詰められてしまっている。
でも、演劇業界がこの未曾有の危機を乗り越えたら、アクタージュのみんなが何を見聞きして目指したのか、舞台を観たり、映画を見たり、はたまたテレビを見たりしたときにちょびっと思い出してくれたらなぁと思ってる。
演劇の世界は今すごく大変だけど、もうちょっと頑張ってみようと思ってる。
そうしたら、夢の続きが見えるかもしれない。彼女たちの歩みがまた見えてくるかもしれない。
だから、世の中がもうちょっと安心できるようになって、演劇の復活を「待ってました」って言える世界が来るようにみんなで頑張ろう。
最後に、はるかぜちゃんのnoteの中で一番好きな言葉です。
大丈夫、連載がなくたって、仕事がなくたって、しわしわのおばあちゃんになって死ぬまでが僕たちのアクタージュだから。
https://note.com/harukazechan/n/n5e712ba24945