「偏執狂短編集」ぶっ通し公演。合計7時間に及ぶ大舞台は「人間とは何か」を試される、本当に恐ろしい舞台。

スタッフ竹森です。

先日、新宿のサンモールスタジオで行われた「偏執狂短編集Ⅳ」ぶっ通し7時間の舞台を観劇してきました!!

劇場までの道のり

最寄り駅は東京メトロ丸の内線新宿御苑前駅、2番出口から出て徒歩3分。

主催はVoyantroupe、脚本・演出は宇野 正玖さんです。

僕は、twitterの春名風花さんの告知でこの公演を知ったのですが、「すごい過激な舞台」という評判と、クラウドファンディングで、当初の募集金額の5倍以上の支援が集まった。という話を聞いて「どんな舞台なんだろうか?」と興味を持ったのがきっかけ。

ちなみに、現在は全公演チケットが売り切れの人気っぷりで、観劇するなら、当日券に賭けるしかなさそうです。

偏執狂短編集とは
実在した偏執狂(Paranoia)や闇歴史をモチーフに創作された短編集演劇のこと。エログロ、ナンセンス、ホラー、猟奇的表現を披露する内容は類を見ない過激な表現を含むオトナのエンターテインメントです。前回、偏執狂短編集4にて上演延期となった「妲己」「サド」を含む最新オリジナルの短編6編からなる構成は過去作1~3をはるかに凌駕する衝撃をお届けすることになるでしょう

「偏執狂短編集Ⅳ」 公式HPより

流石に7時間クラスの舞台は今まで見たことが無かったので、腰とお尻がパンパンになりました。ただ、グロテスクな世界と人間描写の中に、強烈なメッセージがありました!!

公演や告知では、エログロの部分がクローズアップされていて、最初は「舞台の凄まじさを前面に押し出しているんだろうか?」と思ったんですが、実際に見ると違う。

主軸にきちんとした物語があり、それを表現するのに過激さが付随している舞台で、ちゃんとテーマを持って作りこまれてました!!

 

6作品ぶっ通しの上演で、休憩込みで7時間という、とんでもなく長い舞台でしたが、時間が経つのはあっという間。

人間の残虐さと狂気と醜悪さを色濃く反映している作品ばかりで、「観るのに体力がいる舞台」という評判も納得。

観劇している僕らでさえ、とても気力も体力も使う舞台なので、演じる俳優の皆さんのメンタルって、相当なものじゃないだろうか・・・。

でも、全作品がただグロいわけではないのです。各作品には

・人間の浅ましさ

・正義の暴走

・認められなかった人間

・人は倫理観を捨てるとどうなるのか

みたいなメッセージが込められています。多分。

それを踏まえてみると、人間の業を色んな角度から描いているなぁと思います。

それでは、公演した5作品をネタバレしない程度に解説をしていきます。

千年狐狸精蘇妲己凌遅演義

ストーリー

紀元前中国は商の王朝。商王紂王は妲己の色香に魅了され、王朝は衰退の一途を辿っていた。
色情狂の妲己は猟奇的な刑罰の見分を好み、罪人や捕虜を使っては新しい刑罰の犠牲にしていた。商国四柱の役職にある姫昌は国勢を危ぶみ、妲己を放逐するよう紂王に諫言したが、これを反逆と受け取った紂王は姫昌を捕らえてしまう。このことに憤怒した姫昌の息子 姫伯邑考は父を奪還するために立ち上がるが、そこには妲己の仕掛けた魔の罠が仕組まれていた。

1作目は中国の「封神演義(ほうしんえんぎ)」を知っている方ならご存知の、悪女「妲己(だっき)」の話。妲己のキャラクターは、なんとなくジャンプの封神演義っぽい。

封神演義ファンはよく知っている「炮烙(ほうらく)」も出てきます。

そして妲己に捕らわれていた西域の姫「邑姜(ゆうきょう)」

彼女は王宮で、口に出すのも躊躇うほどの凄惨な目にあってます・・・。

7時間の最初の作品だから、軽いジャブかな~とか考えてたんですが、めちゃくちゃヘビーな話です。フルコースの一発目からステーキが出てきた感じ。

妲己の突出した異常性とカリスマ性、それに感化された周りの人間の非道さが、生々しく表現されていました。。

ある事件をきっかけに、捕らわれていた邑姜と、支配していた妲己達の立場が逆転します。

立場が逆転した時、婚約者から「復讐など無意味!!」と言われた邑姜は、「あなたは、わたしがされたことを見ましたか?見た上で、それが言えるのか?」と。

綺麗ごとを言えるのは何も知らないから。そしてきれいごとは、酷い目にあった当人には何も響かない。もし、僕がひどい目にあってたとき、何も知らずにのうのうと過ごしていた人から同じこと言われたら、「よく言えるな」と思います。

また、虐げる側から、虐げられる側に変わった時、妲己の周りの人間は「ひどい事をしないでください!!」と言う。

いままで、めちゃくちゃ酷い事をしたのに、自分の番になったら、仲間を売ってまで懇願する浅ましさ。

この作品から、僕は「綺麗ごとの無意味さ」「人間の浅ましさ」を感じました。

魔女狩り処刑人PL

16世紀フランスはラブールにおける魔女処刑の実態に迫る。
富豪の家に生まれたレベッカは被服職人からの密告によって魔女の疑いを掛けられた。かたくなに潔白を口にするレベッカだったが、妹のマリヤや使用人たちを人質に取られ、やがては自分が魔女であることを口にしてしまう。審問官は顔が広いレベッカの人脈に注目し、さらに魔女とつながりのある者を焙りだそうと彼女の縁者をしらみつぶしに審問にかけるのだった。
決して報われぬ魔女処刑の悍ましさを水も漏らさずあやなそう。

2作目は16世紀の魔女狩りの話。

最初はすごく和やかに進みます。コミカルな場面もあって笑えるくらいです

僕の魔女狩りのイメージは、「人々が”お前が魔女だろう!!”と怒号を浴びせる」みたいなものでしたが、この舞台は全然違いました。

「あなた、魔女の疑いがあるので、ちょっとこちらの部屋で待っていただいてもよろしいでしょうか?」みたいな、まるで病院の待ち受けみたいな対応。だからこそ、その後、魔女の疑いをかけられた人が、泣き叫んで助けを求めても、淡々と拷問が行われていくシーンがえげつない・・・

この作品は「正義の為なら、何してもよい」という思考停止がテーマかもしれない。

審問官(魔女を裁く人)ピエールは、正義のためなら、誰に何をしようと問題ないという思考の持ち主で、自分の欲望のはけ口ですら、「神のため」と正当化します。

付き従う審問官も、「仕事だから仕方ない」という感じで、淡々と拷問を行ってきます。

この出来事を、誰も何も疑問に思わない異常な世界。それがいかに恐怖なのかを教えてくれました。

ちなみに、「審問官ピエール」役の山本恵太郎さんの怪演と存在感がすごい!!

悪人と狂気と存在感を持った芝居がすごい。淡々と喋っているのに、見事に悪辣さと狂気を表現していて、ものすごいなぁと思いました。

ご本人のtwitter

向こう側の世界―Missa― こちら側の世界―Sabbath―

 

私の彼はサイコパスかもしれない。今日は土曜日、彼は教会へ行くと言った。明日のミサには顔を出さないと言っていたのに。がらんどうの礼拝堂で祈る彼。しきりに奥の部屋ばかりが気になるようなので、私は行ってはいけないと忠告をしたの。でも彼は奥の部屋ばかりが気になるようなので・・。
礼拝堂のアーチをくぐり、小狭な踊り場を抜け重い木の扉を開ける。風が吹き上げる。石畳の階段は下へ下へと闇にまみれる。蝋燭の灯りの向こう、気にしてはいけない。

3作目と4作目は「向こう側の世界」「こちら側の世界」この二つはおそらくセット。

世の中から邪教扱いされている「向こう側の世界」に憧れる男を描く話です。

静かだけど、独特の世界観。映像と芝居を融合させた形で、視覚と音楽に訴えかける、五感を呼び覚ます演劇。

ただ、セリフも少なめで、ストーリーが難解だったので、どういうテーマ性があるのかは、僕にはちょっとわからなかった。

アーサーシャウクロスは戦いたい

ベトナム帰りの連続殺人鬼アーサー・シャウクロスを巡るストーリーの第4部。ソンミ村虐殺事件の深部を辿りながらシャウクロスの狂った戦歴を叙情する。
幼いころにレイプ被害に遭ったシャウクロス少年は暴力によってのみ性的興奮を覚える人格へと成長していった。歪んだ性と暴力に溺れていた彼は、ベトナム出兵の義務を命じられた。多くの兵士がPTSDを抱えるほどの激戦区だったが、シャウクロスにとっては天国でしかなかった。民間人にまで及ぶ残虐な殺戮を楽しんだシャウクロスはその果敢ぶりを買われウィリアム・カリー中尉(意地悪カリー)率いる第20連隊第一大隊チャーリー中隊第一小隊に配属された。この小隊こそが最も凄惨な虐殺を引き起こし、本土で反戦運動の対象になった原因の中核であった。
この物語は猟奇殺人鬼シャウクロスの目線から見た戦争虐殺のドキュメンタリーである。

5作目は、戦争を題材にした作品で、ベトナム戦争とシリアルキラー「アーサーシャウクロス」の話。

アーサーシャウクロスの幼年期、ベトナム戦争、そして戦争中の虐殺から帰国後の殺人まで。

歪んだアーサーが社会に糾弾され、大義のために犠牲になっていくお話。

映像と舞台を合成した、実験的な舞台です。

少年時代のアーサーの周りには、鬼畜のような人間しかおらず、この悲惨な体験から、アーサーの人格は歪んでいく。

強くなりたいことを願ったアーサー。彼は成人になった後にベトナム戦争へ。

この作品は、戦争の虚しさ、それを政治利用しようとする人間の強欲といったものを描写してましたが、その中で「誰からも必要とされないアーサー」が必死に自分の居場所を守るための物語なのかなと。

子供の頃から母親からも拒絶されたアーサー。唯一他人から求められたのは、戦争で活躍した時。

しかし、それらも政治の道具として利用されていく。

そして戦争が終わった後、彼を認めてくれる人間は一切いなくなる。

戦争でしか承認されなかった人間は、それが終わったら地獄でしかない、報われない話。

見どころはやっぱりラストのメッセージ性かな。いままでの政治色も、ラストの展開でひっくり返ります。

日本に置き換えております<ナポリの豊年祭のこと<「悪徳の栄え」より<マルキ・ド・サド著

淫靡な夫人として醜聞の絶えない呉屋未来は孤児であった江藤珠理を義理の妹として迎え入れていた。珠理は呉屋の淫蕩な性質に感化され、淫猥な日常を求めるようになっていた。
ある日、木戸里丸という伯爵の称号を持つ男と知り合い、彼に導かれ、とある催しに出席することになる。猥褻と血にまみれたその催し事は、珠理のなかに新しい芽生えを起こした。
奇才マルキ・ド・サドが記した「悪徳の栄え」より発想を得て、満州建国時代の日本を舞台に織りなす脚色物語。

6作品目は「偏執狂短編集Ⅳ」最後の作品です。

最後の作品は、人間の道徳や常識を真っ向から否定するような物語。

とある奇妙な催しでは、倫理観を一切無視した「人命のもてあそび」が行われていた。

アウトレイジのキャッチコピーみたいに、「全員狂人」ってつけていいくらい、狂人しか出てきません。

ニーチェの「おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ」がよぎりました。

倫理観や常識というものをはぎ取った時、人間は、ただの獣になる。最後にふさわしい、凄まじい作品です。

この見どころは、言葉に出せないシーンが多いので、実際に見るしかないかも・・・。

そして、やっぱり、山本恵太郎さんに目がいってしまう。ただ居るだけで異質さを表現してくれて、ついつい目が行ってしまう。

7時間観終わって

正直、7時間があっという間です。

そして、人間の負の面を様々な切り口で表現しているので、心に衝撃的な光景が焼き付けられます。

よく、幽霊話などで「本当に怖いのは人間」と言われるのですが、この舞台は、人間の裏側の深い闇の部分を表現しています。

この作品は、ニュースや本などでみかける「異常な人間」と、自分は違うと信じている僕らに対して、その壁を取っ払うものじゃないかな。だから「異常の発端」なのかも。全く理解できない「異常な人間」も、ある側面では理解でき、自分と共通する部分がある。人間ってそんなもの、自分だっていつその世界の住人になるかもしれない。それがこの作品に込められているかもしれない。

もし興味があるなら全席完売なので、今から見るなら当日券狙いしかないかも。

非日常的な世界で、人間とは何か、自分自身は何なのかなど、深く深く考えてみたい方にオススメします。

余談ですが、7時間ぶっ通しの後には、アフタートークがあるんですが、これは最高です!!

それまでのシリアスな世界観をぶっ壊してくれます!!

ディープな世界をさまよったあと癒されたい方にはぜひともオススメします!!

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