スタッフ竹森です。
本日は、プロの俳優で志村喬さんの元付き人でもあった角間進さんと、最近の話題の映画について。
今回は、メガヒットを誇る「カメラを止めるな!」と「ボヘミアン・ラプソディ」について語ってもらいました。
志村喬さんの元付き人で自身も映画出演経験がある、角間進さんに独自の視点からのお話です。
「俳優、角間進、映画を語る。」
タイトルがものすごく仰々しいですが、映画といえば、黒澤明監督作品の撮影を間近で見続け、現在でも様々な映画を見ている角間さん。
今日はメガヒットの「カメラを止めるな」「ボヘミアン・ラプソディー」について聞いてみます。
ちなみに両方とも観ました?
両方ともしっかり観たよ。これ、もし観てなかったらどうなってたの?
観てなかったら、どうしましょうかねぇ。
・「カメラを止めるな!」について
まず「カメラを止めるな!」からだけど。口コミで大ヒットしたよね。でもこれがここまでヒットするとは思わなかったよ。
SNSの口コミをフルに活用して、面白さをアピール。「カメラを止めるな!」がすごいのは、単館での公開からはじまって、そこから急激にひろがっていったことだよね。あれは真似しようとしてできない。
「カメラを止めるな!」の上手さというのはどういうことなんでしょう。
今、自分でいきなり名作映画を発見するってことは少なくなっているんじゃないかな。大体は、誰かが「これいいよ」って言った作品を観にいくよね。
そのための知名度や露出度を増やす方法について、昔はテレビや新聞だけだったけど、今はSNSがあったり、Youtubeだったり、媒体メディアの増加している。
その中で、有名人やインフルエンサーと呼ばれる人が「これいいよ」っていうと、そこからヒットのきっかけになったりしているんじゃないかな。
ツイッターなんかは口コミ媒体として、とても重要だと思うよ。拡散速度がとても早いし。
媒体とその手法をうまく活用することが求められていると思うよ。
そういう意味で映画の広告方法って変わってきているんですかね?有名人もSNSで拡散すればヒットするんじゃないかなと思うんですけど。
一般の作品はもしかしたら事務所がNG出すんじゃないかな。「RT」や「いいね」みたいにSNSを通じてファンと交流するのにもある程度制限があるんじゃないかな。それに、出演する人が、「これいいよ!!」っていうのはどうしても自画自賛ってとらえられがちだしね。
また広告方法について、ワイドショーや徹子の部屋で番組宣伝をやっていたんだよ。芝居の宣伝でも、やっぱりテレビに出ると反応違うよね。そういったメディアで露出度や情報を提供すると、動員力に影響するよね。でも、テレビや新聞での映画の広告が少なくなってきた気がする。
昔から強いのは口コミ。実際に行った、生の声が一番信頼できると思うよ。そして今の時代は、ソーシャルが口コミとして代わりになってきている。
「カメラを止めるな!」は出演者の方が作品の感想を見た人に自由に「RT」や「いいね」をつけたりしたでしょう。
そういった、大手が使えない戦術を使ったのが上手だなぁと思いますよ。
感想を「RT」「いいね」することで、自分たちが評価しているんじゃなくて、口コミを拡散しているわけですね。
「カメラを止めるな!」の内容についてはどう思います?
内容については、エンターテイメントの話として、とても良かったよ。ちなみにワンカットが好きな人は「バードマン あるいは無知がもたらす予期せぬ奇跡」を見てみると面白いと思うよ。次回はこれについて語ろうか。
話が反れちゃったので戻すけど、僕は映画について、監督が裏側にどういう意味を込めたかを考えちゃうんだよね。
例えば、アメリカのゾンビ映画ってゾンビにテーマ性を持たせていたりするんですよ。ゾンビがマイノリティの象徴だったり、社会的な意味がふくまれていたり。「カメラを止めるな!」は社会背景の部分をちょっと聞いてみたいね。
また、僕独自の見方かもしれないけど、「カメラを止めるな!」は作りたいものを作ったんだと思う。手作りでみんな頑張っていくのが映画から溢れているし、いちばん大切なのかもしれない。
映画って、結構作りたいものを作っているイメージだったんだけど、違うんですかね。
意外とそうでもないよ。たとえば、映画は監督が「こう撮りたい」といったら、その作品の全責任がのしかかってくる。だから〇〇監督作品って出るよね。
ハリウッドなんかは「どうやったら受けるんだろうって」観客が見たいもの、求めているものを綿密にリサーチをするんだよ。そうすることで、ある程度ヒットするけど、一方でとても尖った部分がなくなってしまうのも事実。そういう顧客視点は重要だと思うけどね。また、スポンサーの意向によっては、結末や敵を変えざるを得ない必要が出てしまう。例えばバッドエンドがダメだったり。そうなってくると、作りたいものが作れなくなるしね。
でも、ハリウッドは、商業として成り立たないといけないから仕方がないところもあるけどね。
「カメラを止めるな!」は、しがらみがないからできた、奇跡の作品かもしれないということですね。
・「ボヘミアン・ラプソディ」について
「ボヘミアン・ラプソディ」はクイーンのドキュメンタリーだと思ったら、ドラマ性があるものとして作っているんだよね。それを知って興味を持ったの。
ボヘミアンの「ライヴ・エイド」ってウェンブリースタジアムでやるんだよね。あれってサッカーの聖地で10万人くらい入るところなんだよ。
あそこでよくライブコンサートやるんだけどさ。ああいうバンドの人間模様がドラマになったうえで最後に観るライブ映像は好きだね。
昔の人達にとっては「私たちのアイドル」若い人たちにとっては「新しい音楽」というもので観ているのかもしれないね。
音楽を聴いたときに、ものすごい完成度の高い音楽だったしね。
伝記映画では、「ウォークザライン」「ジャージーボーイズ」「ボヘミアン・ラプソディー」など、バンドグループの話は、映画の中で、構造や展開がすごく似やすい部分はあるんです。成りあがって、うまくいって、そこで揉めたりして、また復帰みたいに。
その中で、「ボヘミアン・ラプソディ」のようなライブの追体験というのは今の若い人たちに求められているスタイルなんだなぁって思います。
僕らはライブとしてボヘミアンを見てエネルギーもらいましたね。
でも僕は、「ボヘミアン・ラプソディ」について、社会的な面からも見ちゃうんだよね。
当時のイギリスっていう強い階級社会の中で、最初は空港で働いてたようなところから始まって、そこからだんだんとビッグになっていく。そういうのロマンっていうのをあの映画に感じたんだよね。
劇中でフレディがパキスタンの出身を隠すでしょう。そういった時代背景があって、LGBTやエイズについてもフレディが抱えていて、その中で戦った人間の生きざまが共感できるよね。「出っ歯は矯正しないんですか」とか、めちゃくちゃ失礼だよね。あれは映画的に作っているのかもしれないけど、階級社会の象徴かなって思っちゃう。
フレディは抜群の歌唱力のもと、絶えず新しいものを作っていこうという精神があって、最後は若くして亡くなるドラマチック性。
これがアメリカだったりすると、アメリカンドリームみたいな解釈になっちゃうかもね。
確かにアメリカンドリーム的な成功と、階級社会からのし上がるのはちょっと意味が違いますね。
「ボヘミアン・ラプソディ」を見て思ったのは、今の現実社会はやや閉塞感があるよね。
それなりに金銭がないとそれなりに成功が見込めない。
「ボヘミアン・ラプソディ」はその中で貧乏を囲ってた人がチャンスをつかんでいくのがいいよね。ドラマチックさが好きだよ。
・最後に
最近の映画を見てて思うんだけど、観客や大衆の意識が、変化してきているなぁって。
映画はエンターテイメントみたいな内容が多くなってて、人間を描いて、社会を描くドラマが少なくなってきている気がします。
僕は社会を描く映画のほうが好きなので、観に行くときに何を見ればいいのかなって思っちゃう。社会や人間を描くものって、内面や葛藤を綿密に書いていて、人間って単純じゃないなって思うところがいいのよ。
あと、映画の手法もちょっと変わってきているかも。とくに変わっているなと思ったのは、シンゴジラなんかかな。リアクションが一つもない。
リアクションというのは、「相手が話してきて、それに対してどう演技するのか」がリアクション。
僕は、俳優の上手さについて、相手がしゃべっているときに起こすリアクションかなと思っています。シンゴジラなんかは、あえてそこを排除することで、上手にみせているよね。
リアクションの上手さをとった映画監督なら、溝口健二さん、成瀬巳喜男さん、川島雄三さん
この辺りはリアクションをしっかりと表現した映画かなと。
エンターテイメント映画が増えてきて、僕なんかは気軽に観に行ったりしているんですけどね。
そこは現代に求められている価値観の違いかもしれないですね。
次はカメ止めの時に出た「バードマン あるいは無知がもたらす予期せぬ奇跡」あたりの話なんかどうでしょう。
ワンカット風に撮影されていて、とても面白いし、アメリカのブロードウェイと現代のSNSの話が混じった面白い作品だよ。
ありがとうございます。
じゃあ次の話はバードマンでいきましょう。
角間さん、本日はありがとうございました。
その2に続くかも。