どうも。スタッフの竹森です。
この前、コント日本一を決める「キングオブコント2018」が放映されてました!
その時にキングオブコントを見た知り合いから質問が。
「コントと演劇って何が違うの?」
言われてみれば確かに・・・・
知り合いから、「高いレベルのコントは芝居とどう違うのか」と聞かれて、唸ってる。
キングオブコントのお芝居がすごいとのことで、表現方法と目的の違いだけで、演劇もコントも、本質はとても近いのかもしれない。
— 竹森 裕哉@シナリオ中の人 (@h_takemori) 2018年9月22日
・コントと演劇が似ている
今朝のワイドナショーでキングオブコントで優勝した「ハナコ」がコントやってました。
改めてコントをみてみると、間の取り方、表情、応現方法など、演劇とすごく似ている!と思いました。おそらく台本があって、演出があって、セットが組んであって、と、やっていることは演劇の短編上演と変わらないのかもしれない。
「確かに、コントと演劇ってすごく近いところにいる!!」と唸りました。
じゃあコントと演劇ってどこかで関係していたりするのかなと思ってちょっと調べてみました。
・芸人がやるのがコント、俳優がやるのがコメディ?
コントを調べていると、コントとコメディの違いについて書いてました。
コメディは役者がやってコントは芸人がやる。
例えば、これがそうかも知れない。コメディは高倉健にもできるが、コントは高倉健にはできない。コメディは昔からあるが、コントはテレビができてから誕生した。
やり方は人それぞれだが、脚本家がホン通りやって欲しかったら、芝居をやればよい。コメディアンの場合、板の上(舞台の上)立ってしまえば王様なのだから、ホンのことなど思い出さずに自由にやれば良い。一度ストーリーをハズれても、もどってこれる融通無碍なものがコントだ。ホン通りやったらつまらないのだから。
役者がやるのがコメディ、芸人がやるのがコントなのか。と思っていたんですが、芸人さんも俳優をやっている事があるし、時には俳優さんもコントぽい番組に出たりするし、違いを考えるとよくわからなくなってくる。
というわけで、ここはちゃんとルーツから探ったほうが良いんではないか思い、専門家に話を聞くことに!!
今回、お話を伺った福島勝則先生。
元多摩美術大学演劇学科教授(演出家・演劇学研究)
99年度国民文化祭(文化庁・岐阜県)演劇部門で100人の市民が参加する舞台を台本・構成・演出など/「俳優の身体」、「対話の力学」など演劇評論多数/明治大学、桜美林大学、札幌大学大学院でも演劇論担当。
教授!!
教授です。大事なことだから2回言いました!
なんか僕の「コントと演劇ってどう違うの? ルーツから探ってみる」みたいな話題をわざわざ聞いていいのだろうかというくらい偉い先生です・・・
流石に先生に、「アクタージュ面白いですよ!!」なんてフランクな話題は振れなかった・・・
・コントはもともと、どんな感じだったのか
先生、僕の個人的な疑問のために時間を割いていただいて本当に恐縮です。いきなり本題なのですが、今テレビでやってるコントと演劇って演技やすごく近いなぁと思って、色々調べてみたんですけど、日本のコントのルーツがよくわからなかったんです。
そこで、先生に日本のコントってどこから来たの?と聞こうと思って。
いえいえ、お気になさらないでください。
本題ですが、端折って言うと、コントという言葉はもともとフランス語で、古くから「ファルス」と呼ばれる即興的な笑劇や寸劇の伝統がありました。これらは、世界各国にもありまして、日本の「俄 にわか」もその一つなんです。
その中で、日本のコントの形はイギリスが作った大きな基盤が基です。
コントというジャンルは、台本作家がいて、そこに出演する方、まあ俳優さんにあたる方が声帯模写、形態模写を要素として入れて、時事的なネタを取り込み、世の中が不満におもっていることを、ズバッというのが元々の形です。
ヨーロッパではコントは「ミュージックホールやキャバレーなど、レストランでショータイムの中継ぎ」として行われていたんです。
「ただ笑わせよう」っていうものじゃなくて、社会風刺的な要素を持ってたんですか・・・知らんかった・・・
また、ヨーロッパのミュージックホールやキャバレーって知的な人や新進の芸術家もきて、サークルを作るような場所でもありました。そして、スポンサーもそういう場所に来るんですよ。つまり、キャバレーってのは大きなメディアミックスの場所だったんです。
そんな大きな社交場の中で、出演者を誰にするかは、ミュージックホールのセンスなのです。
だからイギリスのコントって、社会的地位が低いものではなく、高等な娯楽だったんです。イギリスは今でもコントで食べている人がいますよ。
イギリスのキャバレーって、日本のキャバクラと全然違うんですね・・・オタクだから怖くてキャバクラ行ったことないけど・・・
そんなキャバレーやミュージックホールのコントにも音楽が入ったり、アコーディオンが入ったりと色々なバラエティがあるんですが、基本は社会風刺や政治風刺なんです。一般庶民が一番不満に思っていることを先取りにして、笑わせながらガス抜きをする役目です。
それ以外にも、社会の動きをいち早く伝えていくメディアでもありました。当時のヨーロッパはみんなが新聞を読めるとは限らなかったので、文字が読めない方にも情報を伝える手段が舞台でした。コントもその役割を担っていたんです。
ところがガス抜きをしようと思っていたら、それが社会運動につながるケースもあった。それでイギリスではコントって弾圧されるんです。だって、当時の女王であるヴィクトリア女王陛下の悪口なども言うわけですからね。その頃のコントは相当激しかったと思いますよ。
メディアの代わりってのはすごいですね。そりゃ表現力も鍛えられる・・・
しかし天下の女王を批判するって、結構コントって攻めてますね。
ちなみに、その当時の厳しい時代、コントの名手だった両親の下に生まれたのがチャップリンですよ。余談ですが、チャップリンは、パントマイム芸人の母親やその仲間たちと、どたばた寸劇、つまりスケッチSketchと呼ばれたコントを見て育ったんですよ。どた靴をはいたSlap-Stick Comedyのルーツはここなんです。
母親の姿を見て育ったチャップリン自身が、生涯にわたって批評精神を失わなかったのはそういった背景があるからなんです。ちなみにチャップリンの映画でみるようなドタグツ履いてやっているようなのはコントです。
(全然知らなかった・・・)
・日本にコントが来たらどうなったの?
日本のコントには、社会風刺的な要素あまりないですよね。
これもある程度、端折りますが、日本ではコントが持つ社会風刺的な意味が、あまり根付かなかったんです。
「キャバレーの幕間に見せるもの」という事で日本に入ってきたんです。
浅草のストリップ劇場で、幕間に見せる物として。
それで日本のコントは政治色が薄いんですね。
また当時の浅草では、コントだけじゃなくて、浅草オペラだったり、新喜劇だったり色々ごちゃまぜになっていたんですよ。
ビートたけしさんも渥美清さんも浅草のストリップ劇場から始まってますからね。
浅草の劇場では、「綺麗なお姉ちゃんを見に来たのに、お前らなんか出てくるな」みたいに野次られていたんです。
でも、それって陰湿なものじゃなくて、そのやり取りも含めて一種のエンターテイメントだったんです。舞台と観客が口喧嘩したりしてね。
当時の浅草は色々な文化が混ざっていて、コントはその中の一つでした。
コントをやっていた芸人さんたちも、ストリップ小屋からはい出そうと、なんとか頑張ったんです。
井上ひさしさんなんかもコントの台本書いてましたよ。コントと言わず笑劇という形で。
つまり、色々な文化が混ざりあい、そこから今の日本流のコントの形になったんですよ。
インドのカレーが日本に入って、日本独自のカレーになったみたいな話ですね。
最近では、テレビでも色々混ざっていたりします。
だから、綺麗に順序立ててというのは難しいですね。
そう考えると、今の日本のコントスタイルも日本独自なものなのですね。
・まとめ
コントと演劇に関して調べてみましたが、元々コントはイギリスの社会風刺を交えた舞台の一つだった。でも、日本に来た時点で、社会風刺の面はかなり薄くなり様々な文化と混ざり合って今の日本流のコントができたそうです。
でも、イギリスの社会風刺を入れながら演じる舞台というのは、日本の少し前の演劇に似ているんですよね。
もちろん、日本の演劇からコントが派生したとは言い難いです。でも台本があり、演出があって、感情表現がいる演劇の技術はコントにも応用できるし、コントの技術を演劇にも応用できるのかなと思ってます。
演劇のルーツも現在鋭意制作中で、めちゃめちゃ長い文章になる予定です。