チェーホフの幻の処女作と聞いていたこの戯曲。18歳くらいの時に書いたものらしいです。
医学部に通い、のちに医師となるチェーホフ。若いころ、小遣い稼ぎのため短編小説を書いていたそうですが、医師免許を持つ文豪ってけっこう多いですよね。
シナリオクラブでもチェーホフをよく読みますが、4大戯曲「かもめ」「三人姉妹」「ワーニャ伯父さん」「桜の園」より前に書かれた一幕もの喜劇の、「熊」とか「結婚申し込み」にテイストが似ているような気がしました。
登場人物みんながみんな、すぐ興奮しちゃって、収拾がつかない、みたいな。それを読んだときは、ロシアの人ってウォッカみたいな度の強いお酒ばっかり飲んでるから、きっと血がすぐ沸いちゃうんだわ、と思ったものです。
とはいえ、なんの予備知識もなく観る派のわたくし、始まったときは4大戯曲路線かと思い「話ついていけるかなあ」と実は不安もあったのですが、しばらく経つと「あ、そっちね、何も考えずに委ねてればいいやつね」と、安堵とともに嬉しさがこみ上げてきました。
公演パンフレットでも「何も考えずに観てほしい」と、キャストの方が言ってました。「頭を空っぽにしてきて来てくだされば、ぎゅうぎゅう詰めにしてお返しいたします」とも。そんな懐深い作品です。
ちなみに、これは喜劇かというと、そうでもないです。でも、笑えます。序盤、わたくしと同じように構えて観ていた観客たちも、終盤になるにつれ、もう役者さんたちのいいように操られ大笑いさせられちゃってました。
これは、演出の森新太郎さんがおっしゃるには、本来9時間かかるであろう「!」だらけのやかましい原本を、脚色したデイヴィッド・ヘアと、スピーディーな翻訳に定評のある目黒条さんの功績によるところが大きいようです。「ハムレット」のパロディとかは原本にもあって、デイヴィッド・ヘアもわざとシェイクスピアっぽくまとめたらしい、ってことですが、藤原ハムレットを観た人にはお得としか言いようがないキャスティング!
とにかくもう藤原さんのプラトーノフが圧巻すぎて! 稽古場で何があったんだろうと思いました。森新太郎演出って、稽古量が多くて有名らしいですね。終演後、青山さんと楽屋でお会いしたとき、その様子を少し伺ったら、まずは藤原さんのやりたいことを全部やらせて、あとは的確にアドバイスをされていたそう。稽古場の熱量もすごかったらしく、藤原さんに触発されて、ほかの皆さんもどんどん自分から提示するようになっていたんだとか。そんななか、何度も共演されてるベテラン西岡德馬さんとかからは、藤原さんもアドバイスをもらっていたみたいで、とってもいいカンパニーだったんだなーと思いました。
いつもの藤原さんらしさである、身体のなかにある感情を120%吐き出すような演技もあって「これだこれだ」ってほくそ笑みもしましたし、なんか素っぽく観客に話しかけてたり、押したり引いたり、こんなワザも持ってたのね!っていうのも観られて、のたうち回ったり転がったり、藤原劇場に大満足でした。前半の自信に満ちたキラキラと、後半のボロ雑巾のようなクズっぷりの落差も見どころ!
そんな藤原さんに負けず劣らず、プラトーノフを取り巻く女性たちも、それぞれの個性を十分に発揮してて、とても魅力的でした。
情熱的でプライドが高くて知的でセクシーな、未亡人アンナ役に、まさにピッタリだった高岡早紀さん。プラス可憐さと気だるさっていう、高岡さんらしさもちゃんと添えられていました。
美しい元恋人ソフィヤの比嘉愛未さんも、プラトーノフに振り回されて、泣いたり怒ったり叫んだり発狂したり、目まぐるしい感情を気持ちいいくらい全力で表現されてました。
中別府葵さんは、ご本人はお美しいのに、美少女っぽさゼロで、生真面目な学生役を熱演(お笑い担当)されてました。
この4人の中で、いちばん難しそうな役、妻のサーシャを演じていた前田亜季さん。おおらかそうに見えて、実は気性が激しく繊細。とってもよかった。後半のプラトーノフのダメダメっぷりに、十分な説得力を持たせる演技だったと思います。
青山達三さんのマルコ。元軍人の配達屋さん。かわいい! とにかくかわいい! ただ、青山さんはそういうアプローチをしたのではなくて、結果的にそうなっただけであって、青山さんは、19世紀のロシアの歴史や文化を徹底的にリサーチしたはずです。ベテラン勢は、そういう空気から身にまとうのが本当に上手いですよね。そうしたベースをちゃんと創ったうえで、役の肉付けをするっていう。
そういう点で、この舞台では、若手・中堅・ベテランが、それぞれの持ち味を発揮してて、化学反応も感じられて、奥行きも広がりも感じられて、観た充実感がとてもあります。
わたくし的に、ストーリーを楽しむというより、役者さんたちの演技を堪能するのが好きな方なので、そういった方には特におすすめな作品です!